2016年1月16日(土)、京都烏丸御池の「Samurai Cafe & Bar SHISHIN(士心)」にて字天ナイトを開催いたしました。

当日のライブの、活動報告です。

今回の字天ナイトもまた書家の八木翠月先生にご臨席いただき、小田の「新ことば」を即興で書にしたためていただきました。
今回「新ことば」をお送りしたのは浜松市で地域の政治活動を行っておられる佐野くにこ(佐野公任子)さんです。

新ことばは、「盡郷(じんきょう・きょうにつくす)」です。
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佐野さんの、郷里浜松のために尽くす多彩なご活動と、国と人のために捧げる志をお聞きして、『論語』と『孟子』から二つの字を選んでつなげました。


《盡》

その心を盡(=尽)くす者は、その性を知るべし。その性を知らば、則ち天を知らん。その心を存し、その性を養うは、天に事(つか)うるゆえんなり。殀寿(ようじゅ)(たが)わず、身を脩めてもってこれを俟(ま)つは、命(めい)を立つるゆえんなり。

以上は、『孟子』尽心章句冒頭の章です。西郷隆盛が好んだ言葉であり、また立命館大学の名前のいわれでもあります(命を立つ)。

私は、このように訳します。

(孟子は言う、)
「自らの心を伸ばし尽くす者は、自らの本性を知る者だ。自らの本性を知る者は、天から降された意味を知る者だ。よき心を保ち、本性を養うことこそ、天に仕える道である。寿命の長い短いなど気にするな。ひたすら自分自身を修めて命尽きるのを待て。それが、天命を損なわずにまっとうするということなのだ。」

この言葉を巡って様々な議論が儒者たちの間でたたかわされた歴史がありますが、そのような議論をさせたくなるような、力強い言葉です。細かい詮索は抜きにして、天から与えられた命(いのち)を天命(てんめい)として尽くせ、いつ死ぬかといったようなことはくよくよと気にするな。そのような言葉として受け取れば、十分だと思います。


《郷》

孔子、郷党に於いては恂恂如(じゅんじゅんじょ)たり。

『論語』には、郷里、郷党など、孔子の地元の地域についての言葉が多数見られます。孔子は国に仕える公人としては公ための政策を唱え、他方で地元の郷里にいるときには周囲の年長者や若者たちとの間に節度を持った付き合いを行いました。上の言葉は孔子の日常生活を述べた「郷党篇第十」の最初にある言葉です。意味は、「孔子は、郷里の人々の間においては控えめであった」といったものです。


《盡郷》

『論語』と『孟子』から上の二つの字を選び、つなげました。
「郷に盡(尽)くす」。
「郷」とは、佐野さんが故郷と思われるところならば、どこでも可でありましょう。浜松でも、日本でも、はたまた地球でも可、です。
そこに尽くし、天命を全うしたいと望んでおられる佐野さんのお姿を、字に託しました。


「新ことば」Live字天ナイト at Samurai Cafe & Bar SHISHINは、来月も開催する予定です。
またとない体験を、皆さんもどうかお試しください。初見の方、大歓迎です!