藤橋さんとの話が、続いている。

「この神社の木は、立派なものですね。」

神社の木は、杉の木である。いずれの木も幹がしっかりと太くて、力強い。森閑(しんかん)という形容詞に、ふさわしい。

「樹齢は、最低でもたぶん400年はいっているだろう。それにしては、高くないのがここの特徴さ。」

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「高くない?」

「この山の下は、すぐに岩盤になっている。だから、木が根を深く張ることができない。そうなると、木があるところの高さまで行くとそれ以上高くなりきれなくなる。この山の木は、先の部分が割れて開いた状態になっている。根が年齢に比べて深く張り切れないと、あのようになるんだ。」

なるほど。

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「あそこで切られている切り株なんかは、立派なものだ。生きていれば相当の年数だったでしょうね?」

「あの木は、雷にやられたな。」

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「下の神社道をここから西に行くと、波切不動尊がある。貞観地震のときには、そこまで津波が行ったと言われているね。今は埋め立てられているけれど、もともとの地形は塩竃神社のそばまで入り江が来ていた。」

後で調べてみたら、波切不動尊は山手の東北本線を渡ったむこうにある。おそらく神仏がその箇所で津波を防ぎ止めた、という古い言い伝えが、後世にまで残されたのであろう。1000年に一度のことが、今回起こった。この塩竃市も大きな被害があった。だがこの神社の神域と木々のすがすがしさは、変わらずにすばらしいものであった。

藤橋さんと私は、塩竃神社のことについて半時間ほど話をしていた。

穏やかに知識を語ってくれる、矍鑠(かくしゃく)としたご老人であった。

藤橋さんに、「うまく歳を経た、日本人」という形容の言葉が、頭に浮かんだ。

日本人が「うまく歳を経た」とき、藤橋さんのような典型になるのであろう、と私は思った。穏やかさと、いまだ衰えぬ知的好奇心を持った方であった。

以前台湾を旅行したとき、台北の孔子廟で、連管(れんかん)さんと長く話をした。

連管さんは、戦前の台湾を少女時代に経験された方であった。それだけでお歳を知ることができるが、とてもそのような歳には見えなかった。大袈裟でなく、実年齢よりも30歳は若く見えた。彼女は戦前の台湾、戦後の台湾、それから出稼ぎに行ったアメリカ大陸のことまで、じつに面白く話してくださった。彼女の話を聞いたとき、私は台湾人というか華僑の人々がいかに国際的であるか、をしみじみと思い知らされた。

韓国の釜山では、地下鉄駅で日本語ガイドのボランティアをなさっていた金(キム)さんと高(コ)さんのお二人と話をしたことが、私の印象に残っている。

お二人とも、じつにゆったりとした老後の時間を暮らしておられた。観光客の私がよもやま話をついつい続けたくなるような、気持ちのよさがお二人にはあった。お二人とも家族との絆を大切に楽しんでおられるのが、韓国人の最良の部分を見せられるようであった。

華僑には、最良の感覚として国際性があると、私は思う。

韓国人には、人と付き合うときにあふれる人情の温かさが、私にはあると思う。

そして日本人には、尽きぬ知的な好奇心があることが、その人間として最良の部分ではないか、と私は思うのである。

さらに私は神社の境内を見て回るために、拓本の調査を続ける藤橋さんと別れた。

(小田 光男)