5月7日の夜は、東京にいた。

京都から同行した住田君、東京で合流した浦君と扇塚君の四名であった。

場所は、西新宿、駅のそば。

公式には「思い出横丁」という、聞けば頭痛がしてくるような名称の飲み屋街が、新宿駅の西側に取れ残ったカサブタのように、へばり付いている。

「どこで飲むかね?」

「アー、『ションベン横丁』行くか?」

私が聞いたときに、大学時代の旧友の浦君がすかさず答えたのが、小気味良かった。これが、この「思い出横丁」の本当の通称である。どちらの呼び方のほうが相応(ふさわ)しいかどうかは、各人の感性に任せましょう。

中華系の店員の姉さんが注文を取りに来る、居酒屋の二階に陣取った。

遅れて駆け付けた、扇塚君も合流した。扇塚君は数年前まで京都で職を得ようと試みていたが、IT系の職業として需要が大きい東京に移った。

私は、すぐに酒を頼んでしまう。

二合徳利が、500円。日本酒飲みの私としては、この値段だけで十分だ。円高が進む今の時代で、新宿の居酒屋でこれだけの値段を維持できるのが、日本のよいところではないか。韓国に行って焼酎やマッコリをコンビニで買えば、確かに安い。しかし、私は3年前に韓国旅行したときに屋台(ポジャンマチャ)に飲みに行ったが、そのお勘定は決して安くなかった。調子に乗って酔っ払っていたので、ひょっとしたらぼったくられたのかもしれないが、店屋の構えとしてはこの新宿の居酒屋のほうがはるかにマシであることは、疑いない。香港のビールバーなども大した店でもないのにおそろしく値が張ったし、日本の居酒屋は旅行の夜を楽しく飲み食いする場所として、世界に冠たるところとして今さらながら誇ってよいかもしれない。しかし従業員をこき使ってこのような価格にしているのならば、やはり考え物である。サービスとメニューだけは(おそらく)世界の頂点にいるのだから、後はもう少し儲け率が高くなる仕組みを作って少しでも働きやすい職場とすることができるならば、申し分ないことであろう。

夜遅く居酒屋を出たときは、私はほとんど意識朦朧であった。

扇塚君は帰ることができたので、私と住田君と浦君は歌舞伎町のカプセルホテルに向かった。

歌舞伎町は再開発の途上のようで、穴が開いたかのように空き地があった。そのため、20年前に東京で学生の時分だった頃に比べて、淋しい印象を受けてしまった。ここ数年の間に香港、台北、ソウル、釜山を旅行したので、私にとって東京のにぎわいは東アジアの一つの大都市のバリエーションに落ち着いている。確かに、東京はこれらの都市よりも優れている点がいくつもあるのだが、それは程度の差に過ぎない。20世紀後半の時代のように、東アジアで唯一突出した近代的大都会であった特異性は、すでに消滅している。2012年の現代の日本が持つべきことは、20世紀の常識に囚われたい誘惑を我慢して、冷静に現在の国際的地位を評価して、将来の国のあり方を考え抜くことであろう。

カプセルホテルで、朝早くに目が覚めた。

持て余した時間で、懐の紙切れに書き下ろした漢詩。

平成二十四年五月七日、江戸新宿ニ於イテ浦・扇両君ト痛飲シ、翌朝歌舞伎町ニテ作ル

江州大酔後

暁醒在鰻床

光陰過廿歳

友聲同抑揚

 

江州 大酔ノ後

暁ニ醒メテ鰻床(まんしょう)ニ在リ

光陰 廿歳(にじゅっさい)ヲ過ギ

友ノ聲(こえ) 同ジキ抑揚

詩を作り終えたときには、浦君はすでに笹塚の会社に向かっていなかった。

昼間から、バスで東北に向かう。

(小田 光男)