2012年10月8日(祝)、京都烏丸御池の「Samurai Cafe & Bar SHISHIN(士心)」にて、第五回字天ナイトを開催いたしました。
当日のライブの、活動報告です。
第五回目の字天ナイトもまた書家の八木翠月先生にご臨席いただき、小田の「新ことば」を即興で書にしたためていただきました。
当日は、「日本戦国ナイト」と称して、日本の戦国時代にまつわるエピソードから、小田が「新ことば」のヒントを取り上げました。
まず最初に「新ことば」を贈らせていただいたのは、KさんとYさん。Kさんは神奈川のご出身だが京都を拠点として活動されておられ、一絃琴(いちげんきん)を奏し芸事への造詣が大変深いお方です。またYさんは生粋の京都人であり、ご祖先は維新まで代々御所に仕えていた家だということです。ご本人はいま西陣で事業に打ち込んでおられる方で、シャツや小物入れの上にちょっとした刺繍を置いて、そこにセンスを凝らしておられました。お二方とも京都の文化の深いところに通じておられるようで、小田も私個人の芸を見せなければならぬと、「新ことば」に趣向を凝らすよう心がけました。
百禮・万樂(ひゃくれい・ばんがく)。
そのこころは、それぞれが「日々に百の礼儀あり」、「この世には万の楽しみ(または音楽)あり」です。
また二枚を合わせて読むと、「百万禮樂(礼楽)」あるいは「一日一力の礼と楽」とも読むことができるように仕上げました。
KさんとYさんとは、当夜からわずか四日前にお知り合いになられたばかりとか。
それで、この夜にはお二人で旧知のように打ち解けていらっしゃる。そのお姿に、すがすがしい人の交わりの姿を感じました。
Yさんは、お仕事と並行して倫理法人会で大いにご活躍なされているとお聞きしました。
Kさんは、40年近く前から京都で活動をなされ、京都の茶、芸事、音楽の文化に深く造詣を持たれているとお聞きしました。
お二人の長い経歴と、あふれるように若い活動を見たとき、私は二つの色の空気がお二人を包んでいるかのように感じました。
Yさんからは、涼やかな色の空気。礼儀の心、と申すべきでしょうか。
Kさんからは、暖かな色の空気。音楽の心、と申すべきでしょうか。
しかも、それぞれの空気が、当夜はよく調和していたように感じました。
そこで、私は今夜の場を表すために、二つの言葉がそれぞれに独立していながら、両者が合わさっても別の意味を持つような「新ことば」を考案したいと思いました。
それが、Yさんへの「百禮」、Kさんへの「万樂」です。
Yさんにお贈りした「百」の字は、「一日」とも読むことができます。
一日一日が、百の禮(礼)に尽きること。
これは、人間が社会の中で和やかに、しかも正しさをもって他人と付き合っていくために、必須のことです。
Yさんの社会人としての力強い活動を見て、この字を選ばせていただきました。
Kさんにお贈りした「万」の字は、「一力」とも読むことができます。
一つ一つのことに力(つと)めて、しかもその道を楽しむこと。
Kさんの文化を愛して実践する道のひたむきさと楽しさを見て、この字を選ばせていただきました。
二枚の色紙は、それぞれがお二人の道にふさわしいと考えて字を選ばせていただきました。
そこに加えて、今夜の記念として、二枚の色紙を横に並べたときに新たな意味が出る仕掛けを作らせていただきました。
http://www.akitakata.jp/site/page/sightseeing/history/hyakuman/
上のサイトは、戦国大名の毛利元就の出身地である、吉田郡山城(広島県)にある「百万一心」の碑です。
二枚の色紙の「百」と「万」の字の形は、この碑からヒントを得ております。
一世で地方の極小領主から中国地方の大大名に成長した毛利元就が、自分の城に建てた碑であると伝えられています。
そのまま読めば、「百万が一つの心になる」。
分けて読めば、「一日、一つの力で、一つの心」。
苦労人の元就が目指していた道が、よく分かる味わい深い碑です。
さらに、「禮」と「樂」を並べて読めば、「禮樂(礼楽、れいがく)」となって、新しい意味が現れます。
「礼楽」は、かつて中国の孔子が最も大事にした人間文化の二つの真髄でした。
-詩に興り、礼に立ち、楽に成る(論語、泰伯篇)。
論語には、上のような言葉があります。
孔子は、礼儀を単なる堅苦しい躾(しつけ)だけの意味には取らず、詩や音楽と同じ文化であると捉えていました。それらは、いずれも孔子に取っては人間を人間らしく豊かにするために身に付けるべきものでした。孔子は礼を行うことによって社会の中でよく生き、音楽を楽しむことによって心を調和させることを人間の理想としました。
二枚の色紙を横に並べたとき、このようにも読むことができます。
百万礼楽。
または、
一日一力の礼と楽。
KさんとYさんは、これからも人として礼を守り楽を楽しみ、さらなる人生航路を進まれることだろうと、私は疑いを持つところがありません。
続いて「新ことば」を贈らせていただいたのは、KMさん。KMさんは、大阪東成の下町で飲食店を開いておられると聞きました。「下町のインテリたち」がよく来る店なので、ひねりのある面白い言葉がよいというリクエストを受けました。今夜は、難題続きでした。
澱下一統(でんかいっとう)。
そのこころは、「澱川(=淀川、よどがわ)の流れの下を一つにまとめたい」。
最初の一文字「澱(よど)」は、大阪です。
排気ガスで、空気がヨドンデいるからか?
下町の雰囲気がどろどろのソースみたいに、ヨドンデいるからか?
私も大阪の出身であり、そうやな、と認めます(笑)。
それで終わっては、しかし学がない。
毛馬(摂津国東成郡毛馬村、現在の大阪市都島区毛馬町)出身の文人であった蕪村(1716-1783)の作品に、三首の「澱河歌(でんがか)」があります。
その一つ。漢詩風です。
菟水合澱水
交流如一身
舟中願同寝
長為浪花人
菟水(とすい)澱水(でんすい)に合し
交流一身の如し
舟中願はくは寝(しん)を同(とも)にし
長く浪花(なには)の人と為らん
「菟水(宇治川)が澱水(淀川)に合わさり、交わって一つ身の川となります。この川舟の中で、願わくは共に添い寝て、私とあなたとで長く浪花の街の人となりたいものです」
という意味です。私とあなたとの交わりの思いを、菟水(宇治川)と澱水(淀川)が交わることにたとえています。つまり、澱(よど)の字は、古来淀川を指した字です。蕪村の三首の「澱河歌」は、淀川に遊ぶ私とあなたとの別れを歌った艶のある和漢混交の作品です。
だから、「澱下一統(でんかいっとう)」とは、「澱川(淀川)の下を一つにまとめよう」という意味となるでしょう。「天下一統(てんかいっとう)」は国士の夢ですが、一語を「て」から「で」に濁らせたら、浪花の風景に変わる。面白(おもろ)うて、やがてヨドンでいるのが大阪でしょうか。だが偉大な文人の蕪村が詩に書いたのも、澱(よど)の川が流れる大阪。笑いを取っても、実はあなどれない。
KMさんは東成区の下町で飲食店を開かれている、とお聞きしましたので、ここは酒にまつわるような意味合いの言葉にもしようと心がけました。
知る人ぞ知る博物学者の南方熊楠(みなかたくまぐす)は、実家が和歌山県の醸造業者でした。その会社は今でも続いています。「世界一統」という雄大な名称の会社です。この名前は大隈重信の命名によると伝えられていて、会社は今でも南方家の方々により経営されているようです。
http://www.sekaiitto.co.jp/
この銘酒の雄大な名称と対になるような言葉であってよい、と私は「新ことば」を作る際に思った次第です。
「新ことば」Live字天ナイト at Samurai Cafe & Bar SHISHINは、来月も開催する予定です。
またとない体験を、皆さんもどうかお試しください。初見の方、大歓迎です!