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東北旅行記 その十六(2012/5/9)

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瑞厳寺(ずいがんじ)は、すぐに行くことができる場所にある。 Read more

東北旅行記 その十五(2012/5/9)

これから、電車を使うことにした。

足が疲れているというわけでは、決してなかった。自信過剰ではなく、まだ歩き続けることはできた。

しかし、塩竃神社が気に入ったせいで午後の長い時間滞在したおかげで、塩竃の市街地に戻ってきたときには、もう午後3時を回っていた。日が沈むまでに、さらに松島に行きたかったので、ここからは電車を使うことにした。

仙石線の本塩竃駅から、電車に乗った。全部の再開にまだ至っていないこの沿岸部を走る路線であるが、この駅はすでに営業している。だが、駅の中は応急措置が施された状態に留まっていた。

電車を待っている間、ホームにいたおばちゃんが携帯で話していた。家族と話しているようだ。

その言葉は、私が学生時代に親しかった、福島県中通り地方から東京の大学に来た友人のアクセントを思い出させた。私も、40代になった。彼とは学生時代以降会っていないが、今は同じ40代のはずだ。下の世代たちから見れば、古い訛(なま)りを残している世代なのであろうか。

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車窓から、松島の風景が見えた。 Read more

東北旅行記 その十四(2012/5/9)

蝋梅碑の向こう側を見渡せば、松島湾が開けていた。

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東北旅行記 その十三(2012/5/9)

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境内で、塩竃桜が満開であった。

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東北旅行記 その十二(2012/5/9)

藤橋さんとの話が、続いている。

「この神社の木は、立派なものですね。」

神社の木は、杉の木である。いずれの木も幹がしっかりと太くて、力強い。森閑(しんかん)という形容詞に、ふさわしい。

「樹齢は、最低でもたぶん400年はいっているだろう。それにしては、高くないのがここの特徴さ。」

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東北旅行記 その十一(2012/5/9)

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ここから、藤橋經雄さんの解説を交えることにしよう。

藤橋さんは、この日私が塩竃神社で会って、いろいろとこの神社についてご解説いただいた方である。ご本人に了承を得ているので、お名前とご説明の内容を、このブログに記す。 Read more

東北旅行記 その十(2012/5/9)

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塩竃神社は、急峻な石階段の上にある。

鳥居の前も、なかなかに面白い。 Read more

東北旅行記 その九(2012/5/9)

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御釜神社(おかまじんじゃ)は、すぐに見つかった。

ここには、ご神体の鉄釜がある。

かつて、鉄釜で海水を煮て、塩を作っていた。塩竃(しおがま)の地名の由来は、ここが製塩所であったところから来ている。 Read more

東北旅行記 その八(2012/5/9)

車が、本町通りの商店街に入った。両側がアーケードになっていて、中央の道路は車で混雑していた。
(『街道をゆく 仙台・石巻』より)

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と、昭和60年(1985年)にこの本町(もとまち)通りを訪れた司馬遼太郎先生は書いておられるが、今日訪れた本町商店街には、アーケードは見当たらなかった。 Read more

東北旅行記 その七(2012/5/9)

「塩竃」が、この市の正しい字として使われている。

簡単に「塩釜」と書くことも多い。

この街の名前の由来は、市街地の裏手の山にある塩竃神社である。宮城県下では、初詣の人数が一番多いという。だから、仙台人にとってもなじみの深い神社であろう。この神社を、当面の目標地として向かっている。

この塩竃の市街地も、例によって津波の被害を受けた。

JR本塩竃駅の前にはいくつか店があったが、営業していないところが目立つ。津波で店を壊されて、その後を片付けたまま再開できていない。

時間は、正午を過ぎていた。

駅前の定食屋は再開していたが、あいにく今日は休みであった。

その店の入り口の柱の横に、説明が付いていた。

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当日、この柱が黒くなっているところまで津波が押し寄せたという。 Read more