翌朝。
バスは7:50に仙台駅前を出る予定。5月の東日本の朝は早い。4時半には、もう外は白んでいる。
バスで出発するまでの間、残った時間で仙台市内を軽く一回りした。
東北大の方向を、目指して歩いた。
市内の主要な道路は、広々としている。
街路樹が道に置かれて、「杜の都」のイメージを大切にしていることが分かる。
前にも言ったが、中心街の建物は戦後建築の範囲内ではこれが最良であろう、と思わせる。朝の空気もあってじつに快適な散歩の時間を提供してくれる。
だが、百万都市であるのに、大きな繁華街が見当たらないのはどうしたことか、と疑問になった。仙台駅前のあたりは繁華街の規模として、京都の水準からしても物足りない。東京の新宿とか大阪のミナミとかを私が好きなわけではないが、見当たらないのはちょっと不安になった。大都市というものは、下品なことを期待して集まってくる人間にも半分は門戸を開放しておいたほうが、都市としての本来の姿であるはずだ。だが、私はこの仙台市について十分に下調べをしていなかったから後で知ったのであるが、国分町のかいわいが東北随一の繁華街、だということであった。今朝の私は定禅寺通りを西にずんずん進んで、晩翠通りまで行ってしまった。その間に東北随一の繁華街があったということである。だが、私が付近の雰囲気から気づかなかったところなどから考えると、万事が出しゃばらない控えめな都市であるようだ。
晩翠通りをぐるりと回って、東北大のかいわに来た。この辺になると、中心街の引き締まった景観が崩れて、建物が場末っぽくなった。東北大の構内では、シャガの花が大いに咲いていた。
魯迅の下宿跡は東北大正門のそばだと聞いていたが、少し探してもそれらしい表示などを見つけることができなかった。このために下調べなどしていなかったわけで、ただ朝の散歩のとりあえずの目標として魯迅の下宿があった辺りを選んだだけのことであった。だから、見つけられないのはしようがない。
再び大通りに出ると、「光通信発祥の地」という表示が道路にあった。
東北大は、理工学の分野で日本の技術史に大きな足跡をとどめている。世界にさきがけた光通信もまた、そうである。ただ、日本の通信産業は2010年代の現在、かつての時代に世界水準の最先端であった地位からずるずるとすべり落ちている。先人たちの後を継ぐ我々後進たちの、力不足である。
東北大は、理工学だけでなく人文社会科学の分野でも、よい研究者がいた。私としては、理論経済学の安井琢磨(やすいたくま、1909-1995)と中国古典学の武内義雄(たけうちよしお、1886-1966)を、それぞれの分野の名人として挙げたい。安井氏は、日本でマルクス経済学でない理論経済学を研究した、最初期の人物である。この方の理論経済学書の翻訳には、大学時代に大変お世話になった。武内氏は、中国古典の研究者として重要な功績があった。戦前に出版された『論語之研究』は、今読んでも名著である。
通りを南に下がり、広瀬川を渡る橋(愛宕大橋)に出た。
丘の多い、地形である。
仙台を歌ったテーマソングとしては、さとう宗幸の『青葉城恋歌』が真っ先に思い浮かぶ。
広瀬川 流れる岸辺
思い出は かえらず、、、
じつに、名曲である。
私は去る2010年の夏、ソウルのマロニエ公園(コンウォン)に旅行したとき、日本から持って行ったアコースティックギターを抱えて、この『青葉城恋歌』の弾き語りに挑戦してみた。
韓国人の友達から、この公園はこのような大道パフォーマンスをすることができる公園だ、と聞いていたからである。私は、ろくにコードも弾けないくせに、無謀にも旅行先で弾き語ってみるとどうなるだろう、という実験をするつもりで試みた。『青葉城恋歌』はメロディーがよい上にコードも簡単であるのが、私がこの歌を選んだ理由であった。
反応は、意外にも上々であった。
アイドゥル(子供たち)が、手を叩いて喜んでくれた。オモニ(お母さん)たちも、喜んでくれた。
まだ若いひとりのアボジ(お父さん)が、私に英語で語りかけてくれた。
-私の娘は、高知の明徳義塾にいるんですよ。
とアボジは言って、ウォン札を私にくれようとした。しかし、私は金をもらえるような芸ではないし、旅先で恵んでもらうようなことはできないと思って、丁重にお返しした。ともかく、この歌は韓国でも聞いてくれる歌だったということが、私の体験から知ることができた。
『青葉城恋歌』一曲で、仙台の街は旅愁を誘う。
私の出身地である大阪でテーマソングを探せば、それはBOROの『大阪で生まれた女』か、上田正樹の『悲しい色やね』であろう。(『六甲おろし』は大阪のソングではなくて、近畿地方のソングである。)
私個人の好みを言うならば、前者は – それがいいのだという意見があることは、当然分かっているが – 女性の生理的な生臭くさが歌の前面に出ていて、あまり好きでない。後者のほうが大阪のテーマソングとして好きである。だが、BOROの歌のほうが、外から見た大阪のイメージとしては、ふさわしいのかもしれない。
2時間ほど、仙台を歩いた。朝7時にホテルに戻って、旅の荷物を抱えて出た。
(小田 光男)
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