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陸奥湾に面して、「みちのく北方漁船博物館」がある。

青森駅前から歩いて、ここに着いた。

間近に世界各国の船を見ることができる、博物館である。

博物館の前の海には、江戸時代の代表的な船である「弁財船(べざいせん)」が現代に復元されて、繋留されている。江戸時代にはこの形の船が大阪(当時は「大坂」と書いた。また「おさか」と呼ばれていた)から出航して下関を回り、当時「北前」と呼ばれた日本海を航行した。出雲、若狭、越後、佐渡、庄内、秋田。さらに青森港や北海道の松前にまで、頻繁(ひんぱん)に航行していた。これを、北前船(きたまえぶね)という。

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江戸時代は、陸上交通を政治の意図としてわざと不便にした社会であった。大井川などの主要な河川には橋を架けず、大坂や京都などの大都市においては交通の必要があるにも関わらず、運河に橋を架けないか、あるいは架けたとしても橋の幅をうんと狭くした。その理由は、いつか幕府に反抗する勢力が現れて江戸に攻め込もうとしたときに、軍隊がたやすく通過できないようにするためであった。

しかし、日本社会の経済成長は、物資の運搬をますます必要にした。陸上交通がこのようであったので、自然と海を使った流通が爆発的に膨張した。北前船のようないわゆる「和船」は、西洋の船とは構造が違っている。この稿では詳しい解説は言わないが、そもそも和船は西洋船のように荒海を乗り切るために設計された構造ではなくて、せいぜい川を進むことが関の山の構造であった。構造を西洋船のように堅牢に改造しなかったのは、ひとえに幕府の鎖国政策が古い時代の船より技術的に進歩した船を海に浮かべることを、許可しなかったためであった。そのために江戸時代の船乗りたちは、北前の荒海を弱弱しい構造の船で、渡らなければならなかった。彼ら船乗りたちの知識と技術は、どれほど優れていたことであろう。以上のことの詳細は、司馬遼太郎先生の『菜の花の沖』を読めば、余さず記されていることである。

この博物館に展示されている復元船「みちのく丸」は、自力帆走ができる。現に、航海を経験している。

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博物館の前の海には、もう一つの目玉としてこれも復元された中国船のジャンクが繋留されていた。これも航海可能で、館員の人の説明によれば、この船はかつて長崎から青森まで航海したという。

私は、以前から東アジアで海を目指した人々のことについて、不思議に思い、また興味を持ち続けてきた。東アジアの公式の歴史は、王朝の歴史である。陸地にある首都に政府があり、エリートである官僚が集まり、彼らは「天下」とばくぜんとイメージされる統治領域を運営する。中央のエリートどもにとっては、「天下」の隅々まで管理されて権力が統治することが、理想である。

だが、辺境の海から転げ落ちた人々が、ここ日本でも隣の中国でも、一杯いた。私はかつて台湾の歴史を調べたことがあるが、あの島の歴史は中央の政府が管理していなかった移民(ふつう「華僑」とよばれる)たちが切り開いたものであった。現在世界中に広がっている「華僑」たちは、政府があずかり知らぬ人々が己の生存のために海を渡って世界中に散っていたことの結果であった。

日本では、江戸時代の商品経済の発展は、江戸幕府の公的な政策の結果ではない。各地で自発的に沸き起こった商工業の発展があり、それを結びつける流通経路は海であった。日本は幸いにも圧制によって移民を余儀なくされるほどの歴史はなかったが、それでも海に出て大坂から遠く青森・北海道まで船を運ぶ者たちが、数多くいた。彼らが、政府の力とは無関係に、日本の商品経済の発展を担っていた。

「みちのく丸」の前に立ち、かつてこのような弁財船で青森から大坂まで物資を運んだ人々のことを、思った。江戸時代の保守的なルールに縛られた陸上の世界とは違ったものを、船乗りたちは見ていただろう、などと思った。船のスピードは、風と海流が助けたら陸上を進むよりもずっと早い。しかし、風と海流が仇をなしたら、死の危険がある。江戸時代の社会で、リスクとスピードを感じたければ、海に出るべきだったであろう。だがリスクとスピードを望まない者は、ゆっくり政府が整備した街道を進めばよい。

私は、江戸時代に生きていたとすれば、きっと街道派である。

かつて役人時代、業務の必要から原付バイクで大阪市内の国道1号線を、京橋から守口あたりまで走った。

そのとき、轟然とうなりを立てて通過するトラックの群れに追い抜かれて、真横を猛スピードで通過されて、私は心底恐怖を覚えた。目的地に着いたときには一日分の精気を使い果たした心地で、こんな道は二度とバイクで通りたくないと思った。

そんな、私である。現代の船といえる自動車に乗っても、心中楽しまない。歩くほうが、心楽しい。そんな私の性分では、とても江戸時代に海に乗り出すことはしなかったであろう。

海に浮かぶ船を見ながら、自分が江戸時代に生きていたならばこれに乗っただろうか、と自問自答をしたところ、そんな結論に達した。

(小田 光男)